カテゴリ: 夜明けのコーヒー

 9月になり、冷たい風に秋を感じる今日この頃です。岸田ですが、久しぶりにブログを書いています。コロナ禍ではありますが、西洋料理店もりたろうに限定の「いいやまサバ缶スパゲッティ」が登場です。サバ缶は私が生まれ育った飯山市のソールフードで、カレーにも牛や鳥、豚肉ではなくサバ缶が入っていました(当時は正直、肉の入ったカレーが食べたかった…)。そんなこともあり飯山の友人が「サバスキー缶」の販売を始めたので、もりたろうでもレシピを考案して、この度、皆様にお披露目です。
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 新型コロナウィルスがパンデミックとなり1年半が経ちます。ウィルスの変異株もアルファ、ベータ、ガンマ、そして現在猛威を振るっているデルタ株と、人類とウィルスのいたちごっこが続いています。各国でワクチン接種も進んでいるし、そろそろ収束に向かうのかなという淡い期待はいとも容易く裏切られます。当初から、かなりの長期戦になるのではないかという専門家の指摘がありましたので、たぶんそうなのでしょう。人類が集団免疫を獲得したり、ウィルス自体が弱毒化したり、もしくは標準的な治療法が確立したりして、いわゆる「収束」するのはまだまだ先だと思った方がいいかもしれません。

 話は少し変わりますが、今回、どうしても飛沫感染防止をしづらい飲食店には営業自粛や営業時間短縮をしてもらうなど、社会的に協力と大変な苦労を強いています。私たちも何店舗かの飲食店を運営していますので、その影響を受けていますが、居酒屋などアルコール提供を伴う飲食店の皆さんはさらに苦しい思いをしています。もちろん国民も仲間や友人らとの宴会を控えるなど我慢をしています。しかし、居酒屋やレストランなどの飲食店がいかに人々の生活に潤いを与えていたかも、コロナ禍で改めて認識できました。コロナ以前は何のためらいもなく、時には付き合いでしかたなく参加していた飲み会や外食が、今となれば何とも恋しいです。共にする食事は人と人との距離が近くなる最初の登竜門。デートだって食事に誘って断られたらそれで終わりです。政治もかつては料亭で国の行く末が決まりました。酒で失敗する人も多いですが、人類にとってアルコールは最大で最高の食の発明品であると断言できます。人類にとって大切な仕事なので、どうか、居酒屋、レストラン、バー、スナック、接待を伴う飲食店の皆さん、この苦境を乗り越えてください。

 コロナを巡っては、国内外で人間同士の衝突や分裂が報道されています。先にも述べたようにこのコロナとの戦いは長期戦です。あまり焦らず、かといって諦めもせず、ほどほどに楽しみをもちながら、基本的な感染対策をして生活していきたいですね。

 

モリノオープン写真

 気が付けば夏の陽気が降り注ぐ季節になりました。
 新型コロナウィルス感染拡大の影響で当初の予定より遅れましたが、6月1日(月)、長野市役所内に「cafe morino..」がオープンしました。
森と木の各事業所で作っている商品を仕入れているので、morino..にご来店いただければ、森と木の全てが楽しめます。ベジタボーラのサンドイッチ、もりたろうの豆腐入りハンバーグ、曇り時々晴れのコーヒーとカレーとワッフル、モーリー農場のジャムとケチャップ、もりすけの雑穀のお菓子、そしてアトリエキノのアート作品などです。
 外食の自粛ムードがある中で、テイクアウトのお客さんが多いですが、多くの市民の皆さんにご来店いただいております。長野市役所に訪れた際には是非お立ち寄りください。

営業時間 午前10:30~午後5:30
定休日 土日祝日(市役所の閉庁日)

モリノスタモン写真
スタモン作家末次さんの「スタモンギャラリー」もできました!
 

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 この写真は、今回の台風で浸水被害を受けた森と木職員のアパートの片付けの様子です。ようやく災害ゴミ(といっても被災者からすれば大切な家財)の片付けが終わり、新しい生活の準備ができる状態になりました。
 令和元年10月13日未明、台風19号がもたらした集中豪雨の影響で長野市を流れる千曲川の堤防が越水そして決壊し、長野市の南端から北端、そして千曲市、須坂市など千曲川流域の広い範囲の地域が浸水被害を受けました。住宅は1階が全て水没するほどで、りんごや桃などの果樹や長芋などの特産品の畑の多くも被害を受けました。浸水した住宅は住めるような状態ではなく、未だ多くの市民が避難生活や仮住まいを余儀なくされています。
 森と木のサービスを利用されている方のご家庭でも被害を受けた方がいらっしゃいました。森と木の職員も、実家や親せきが被災された人、住んでいるアパートが水没した人がいました。家電・家具などの家財、衣類など全て失うことになりましたが、幸い、当日は職場や親せきの家に避難していて、皆さん、命に別状がなかったのが唯一の救いです。
 あと、森と木の事業所については、山の中のシイタケ小屋が倒木の被害で屋根が一部壊れた以外は無事でしたので、サービス提供には影響がなかったのがよかったです。災害当日から森と木365で被災された方の受け入れをすることができました。
 そして、長野市での浸水被害が全国ニュースで報道されると、県外のお付き合いのある事業所や団体から、被害をご心配いただき多くのご連絡をいただきました。皆さん、応援を申し出てくださり、ありがたく、そして心強く思いました。
 群馬県の社会福祉法人すてっぷさんは、まだ台風の影響で、道路事情が悪い中、タオルなどの日用品類と、多額のご寄付をわざわざ長野まで届けに来てくれました。
 富山県の社会福祉法人くるみさんは、森と木の利用者の方や職員の安否を心配してくださり、多額のご寄付をお送りいただきました。
 兵庫県の加古川市手をつなぐ育成会(会長澤田さん)さんは、被害を受けた森と木の職員を応援しようと多額のご寄付をお送りいただきました。
 遠方の地よりの励まし、ご支援、本当に心強く、被害を受けた職員も涙を流して皆様のご厚情に感謝しております。
 県内外の多くの方々から、ご心配していただき、多くの励ましのお言葉をいただいたこと、深く感謝申し上げます。

 被害を受けた地域は、まだ、住宅からの泥の撤去作業などが続いていますが、浸水地域の一部のコンビニが営業を再開するなど、少しずつ日常の営みも見えつつあります。
 信州は山があるので台風に強い、という昔からの言い伝えが通用しないことを、今回痛感いたしました。
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最後に被災した職員も含めスタッフの元気な様子をお伝えして、お礼の言葉に代えさせていただきます。


 
 

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 先週末、毎年恒例の新人職員研修を湯田中の温泉旅館で行いました。いまどき一泊で温泉旅館かよ、と思われる方もいるかと思いますが、昭和風情が残る温泉宿で職員全員で語らい、夜更け過ぎまで酒を酌み交わすのも、年1回ぐらいはいいのではないかと思っています。最近は、若い職員を飲み会に誘うのもパワハラと言われる時代ではありますが、時にはこんなスマートではない人と人との関わり合いも大切ではないかと思うのです。職員らと朝方まで飲んでいた疲れがまだ取れない私です。
 今年度の森の本(通巻第2号)がようやく完成し、利用者の皆さんや関係機関の皆さんにお届けすることができました。森と木を利用してくれている皆さんのいきいきとした活動をできるだけリアルにお伝えできるように写真をたくさん掲載しています。ご協力いただいた利用者の皆様ありがとうございました。私たち職員が書いた記事は、軽めにご一読いただければ。
 本の装丁から、原稿集め、原稿書き、校正まで、日頃の支援とは違う能力を求められる編集委員になった職員は本当大変だったと思います。でも、こういった創作する力、完成させる力はきっとこれからの仕事や人生の糧になると信じてほしいと思います。そんな汗と涙の結晶です。是非、ご高覧ください。
 

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いやあ、疲れました。今年のチャレンジ登山報告です。
チャレンジ登山とは、自立サポート森と木やようこそ森と木ラボの若者たちが自分への挑戦のために行う登山ですが、それにちなんで、私も毎年、夏に3連休をいただき自分への挑戦のための登山をしています。それを、勝手に「チャレンジ登山」と呼んでいるのです。今年のルートは、室堂から薬師岳を経由して雲ノ平、そして槍ヶ岳で職員らと一時合流し、その後、北穂、涸沢を通過して上高地までの約100キロの道のりです。

8月3日の午前7時50分、長野駅から扇沢行のバスに乗車し、今年最後の黒部のトロリーバスやロープウェイを乗り継ぎ11時過ぎに室堂に到着しました。室堂のバスターミナルでかけ蕎麦をすすり、早速出発です。今日は夕方までに五色ケ原を通ってスゴ乗越小屋の野営地まで到着したいので、急ぎます。6年前にも同じコースを行ったのですが、スゴ乗越小屋への到着が薄暗い午後7時ぐらいになってしまい、山小屋の人にひどく怒られました。なので、今回は怒られないように急いだのです。途中、こけたりしながらも、何とか午後6時には到着しました。カップラーメンとチョコを食べて、ツェルトに潜り込みました。

8月4日は午前3時に槍ヶ岳に向けて出発。スゴ乗越から槍はちょっと距離が長くて無謀かなと思いましたが、チャレンジ登山なのでチャレンジすることにしました。午前6時には薬師岳山頂の祠に到着。その後、薬師沢を下り、急坂を上り返し雲ノ平に出ます。雲ノ平は北アルプスのど真ん中、日本最後の秘境と言われています。自然が織りなす岩や高山植物は「庭園」と呼ばれ、その周りを囲む薬師岳、黒部五郎岳、三俣蓮華岳、水晶岳などが庭園の背景となり、なんとも美しい情景です。雲ノ平山荘に午前11時に到着しましたが、景色を楽しむ暇もなく、進みます。急がないと、日没までに槍ヶ岳までたどり着けないからです。案の定、双六小屋に着いたのは、予定よりもだいぶ遅れて午後3時を過ぎていました。しかも、体力はかなり消耗していました。槍ヶ岳までコースタイムにして約6時間の西鎌尾根を、はたして槍ヶ岳山荘の最終夕飯の午後7時に間に合うか、これが問題であり、今回最大のチャレンジです。それでも、重い体を何とか動かし、午後6時に千丈沢乗越に到着です。その時点で体はボロボロ、10メートルほど進み、休んでは呼吸を整え、といった調子でノソノソと歩くのが精一杯でした。陽はだいぶ傾き、空が赤く染まってきました。このままでは夕飯に間に合わない、合流するはずの職員たちに怒られる、まずい!この一心でひたすら足元を見つめながら歩き続けました。すると、頭上から人々の声が聞こえます。気がつくと、目の前には槍の肩から夕陽を見ようと多くの登山客が集まっています。その中に槍ヶ岳で合流予定の職員も!その時、撮ってもらった写真が冒頭の写真です。もう日が沈む寸前です。何とか午後7時の夕飯に間に合いました。

8月5日、前日あまりに疲れたので、このまま槍沢を下って上高地に向かおうかとも思いましたが、朝、槍ヶ岳の山頂に立つと、予定していた穂高にも行きたくなり、出発は遅くなりましたが午前8時頃に山小屋を出発し、北穂高岳を目指しました。午前11時に北穂高岳山頂に到着。その後は、涸沢から横尾までを走って下り、槍沢経由で下山した職員たちと午後1時に横尾で落ち合うことができました。その後はぶらぶらと上高地までゆっくり歩くつもりでしたが、何と途中で強烈な腹痛に襲われました。街と違ってそこかしこにトイレはないし、梓川の清流でするわけにもいかないし、とにかく苦しかった。このトイレを我慢した約1時間が今回の登山で一番のチャレンジだったかもしれない。それを乗り越えて何とか上高地までたどり着きました。

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私がチャレンジ登山を楽しんでいる間、新規グループホームの開設準備をしてくれたスタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。

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